"Support for sustainable decision-making and arrangements that preserve dignity for everyone during and after life」プロジェクトでは、様々な領域の意思決定を対象として文献調査を進めています。この文献調査で得られた知見・示唆を、研究者によるコラムで分かりやすくお伝えしていきます。
今回は、京都大学/立場研究員による「選択」についてのコラムです。
◇キーワード:選択、自由、自己責任、ナッジ、リバタリアン・パターナリズム
要約
私たちは日々多くの選択を迫られています。そしてその際、「選択肢は多いほどよい」、「自分に関することは自分が最も適切に選べる」と考えがちです。しかし「選択」にまつわる近年のベストセラーの著者たちは、こうした考えに疑問を呈しています。
また、私たちは自由に選択したことについては自らその責任を負うべきであるという「自己責任」という考えを持っていますが、選択に関する新たな事実を踏まえると、この「責任」という考えも見直す必要があるかもしれません。
そして私たちがよりよい選択を行うためには、単に多くの選択肢を提示するのではなく、人々がよりよい選択肢を行うための積極的な環境づくりが必要なのです。
ポイント1.選択肢に関する私たちの誤解:『選択の科学』
スマートフォンの機種変更、夕食のメニュー、動画配信サービスの番組選びなど、私たちは日々多くの選択をしています。そして私たちはこうした「選択」についていくつかの考えを前提にしています。
私たちはまず、「選択肢は多ければ多いほどよい」と考えがちです。うどんかそばかという二択よりも、うどんかそばかカレーかという三択から選べる方が嬉しいし、他のことについても同様です。
また、「自分に関することについては自分がいちばん上手に選択できる」とも考えています。先ほどの例で言えば、夕食に何を選ぶべきかについて、自分の気分や健康状態などについて一番よく知っているのは自分なのだから、このようなことは当然に思われます。
しかし、こうした「選択」に関する考えは近年大幅な見直しを迫られています。まず紹介するのは『選択の科学』(シーナ・アイエンガー著、文藝春秋、2010年)という本です。この本では、人間の選択が先に挙げた直観とどれほど乖離しているかが、様々な実験を用いて説明されています。
この本では様々な実験が紹介されますが、そのなかでも最も有名な実験が著者アイエンガー自身が手がけた「ジャム実験」です。著者はデパートの一角にジャムの試食コーナーを設置し、デパートを訪れた客にジャムを試食してもらい、試食が実際のジャムの購入に結びつくかを調べました。この実験のポイントは試食コーナーに展示するジャムの種類を、数時間ごとに24種類と6種類と変えたというところでした。私たちの普通の考えからすれば、豊富な選択肢から選ぶことができればより私たちの好みに合ったものを見つけられるのだから、当然24種類から選んだ方が購入につながりそうな気がします。
しかし、結果は真逆でした。6種類のジャムの試食コーナーに立ち寄った客のうち、30パーセントがジャムを購入したのに対し、24種類から試食した客で実際にジャムを購入した割合はわずか3パーセントにすぎませんでした。このように、あまりに豊富すぎる選択肢はときに私たちを圧倒し、最善の選択から遠ざけたり、そもそも選択することができなくなったりしていまいます。
また、私たちの選択は直近に起こった出来事や育った文化、仕事の忙しさなどによって大きく影響を受けます。とにかく選択肢を与えられれば、賢明で合理的な選択ができるという私たちの考えは、ときに思い込みなのです。

ポイント2.「自己責任」という概念の捉え直し:『〈選択〉の神話』
先ほどの『選択の科学』において示された選択に関する新たな理解をさらに一歩進めたのが『〈選択〉の神話』(ケント・グリーンフィールド著、紀伊国屋書店、2012年)です。グリーンフィールドはアイエンガーが示した、豊富な選択肢が必ずしもよい結果に結びつかないことや、私たちの選択には様々なバイアスがかかることを認めた上で、自己責任という考えの捉え直しを提案します。
私たちの社会、とりわけ著者が住むアメリカにおいては、各人の選択が尊重されるのに比例して、その選択に対する責任もまた重いものとなっています。生命保険に入らない自由もある一方で、その場合に病気や怪我になった際は自己責任、すなわち公的な助けを受けることはできないという具合です。グリーンフィールドはこうした自己責任観が、「選択肢さえ与えられれば私たちは自分にとってベストな選択を行うことができる」という選択に関する誤った考えから生じていると主張します。そのうえで、自己責任という考えを個人の中で完結するのではなく、周囲の人々や社会全体との関係において解釈するよう提案します。
例えば、ヘルメットを着用しないで事故を起こし結果として死亡してしまうような場合、選択に関する従来通りの考えだと、その人はヘルメットを着用しないことを自由に選択し、その結果としての怪我や死は彼の責任であり、他の人間の介入することではないということになります。これに対して筆者は、ヘルメットの着用を怠って死亡した場合、その人は通行人や家族、職場に対してコストを発生させながらそのコストを支払っていない、すなわち「自己責任」を果たしていないと主張します。そしてこのような周囲へのコストを含めて振る舞うための考えとして「自己責任」を捉え直します。
このように自己責任という概念を捉え直すと、「シートベルトをつけるかどうかは自己責任だ」という考えから、「シートベルトの着用や保険への加入を義務付けることは自己責任を全うさせるために必要なことだ」という風に考えることもできます。
そして各人が上述の意味での自己責任を果たし、よりバイアスから免れた合理的な選択を行うためにグリーンフィールドが提案するのが、後述する「ナッジ」に基づいた公共政策です。
ポイント3.「ナッジ」でよりよい選択を:『実践 行動経済学 完全版』
「ナッジ(nudge)」という言葉を発明し流行語にまで押し上げたのが、ノーベル経済学賞も受賞した『実践 行動経済学 完全版』(リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン著、日経BP、2022年)です。
セイラーとサンスティーンは、「ナッジ」という概念を通じて、個人がより良い選択をできるようにするための方法を提案しています。「ナッジ」とは、強制や命令ではなく、行動経済学的な知見を活かして、人々がより望ましい選択をするように促す仕組みのことを指します。
例えば、多くの人々は老後の資金計画を後回しにしがちですが、企業が従業員の年金制度に自動的に加入させる(ただし、個人の意思で辞退することも可能)という仕組みを導入すると、より多くの人が老後のためのお金を確保できるようになります。これは、「ナッジ」によって選択を合理的な方向へと導いた成功例の一つです。
また、食堂で健康的な食事を促すために、野菜や果物を取りやすい位置に配置する、税金の支払いを促すために「○○パーセントの人が期限内に納税を済ませています」といった社会的証明を用いるなど、様々な分野で「ナッジ」は活用されています。
ここで重要なのは、「ナッジ」が人々の選択の自由を奪うものではないという点です。例えば、ジャムの実験のように選択肢が多すぎることで逆に選べなくなる場合、適切な選択肢の提示方法を工夫することで、人々がより良い決定を下せるようになります。これは、従来の「選択肢の多さ=自由であり善である」という考え方とは異なり、自由を確保しつつ、より良い意思決定へと導く新しいアプローチです。
まとめ
近年のベストセラーが示すように、「選択」に関する私たちの従来の考え方は大きく見直されつつあります。単純に選択肢を増やせばよいわけではなく、また個々人の選択が必ずしも合理的であるとは限りません。そのため、自己責任という概念も、より社会全体の影響を考慮した形で捉え直す必要があるかもしれません。
そして、私たちがより良い選択をするためには、単に情報を提供するのではなく、「ナッジ」のように環境を整えることが重要です。個人の選択の自由を尊重しつつ、より良い決定を促すための工夫を社会全体で考えていくことが、今後ますます求められるでしょう。
本プロジェクトが関わる「身じまい」の問題についても、多くの人が選択を後回しにしたり、「自己責任」の名の下に適切なサポートが受けられない状況が見受けられます。また高齢者の選択に関しては、認知に問題を抱えているなどのケースもあり、より良い決定を支えるための枠組みを考案する必要があります。