序文
近年、「ニューロダイバーシティ」という考え方が注目されています。これは、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)などの発達特性を、障害ではなく個人の多様性として捉える視点です。こうした考え方は、様々な分野で活躍する人々の特性を新たな視点から理解する手がかりを提供します。
今回は、発達特性があったと推測(*1)される哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインについて「研究者たちのフリートーク」をお届けします(全3回)。少しマニアックで肩ひじ張らない研究者たちのトークをお楽しみください。
トークメンバーは、京都大学/文学研究科でウィトゲンシュタインを専門に研究される立場氏(*2)、京都大学/医学研究科/准教授の義村氏(*3)、日本総研でニューロダイバーシティとイノベーションの研究を専門とする木村氏(*3)の3名です。
(*1)参考文献
石坂好樹(2003) Asperger 症候群の認識形式について――Wittgenstein の著作を足がかりにして――第一部 Wittgenstein は Asperger 症候群か. 児童青年精神医学とその近接領域, 44., 231-251.
Fitzgerald, M. (2000). Did Ludwig Wittgenstein have Asperger’s syndrome? European Child & Adolescent Psychiatry, 9: 61-65.
(*2)「誰もが生前・死後の尊厳を保つための持続可能な身じまい・意思決定とその支援」のプロジェクトメンバー
(*3)「発達障害特性がある人材の就労における能力発揮支援」のプロジェクト代表

第1回:ウィトゲンシュタインの歴史的エピソードから見える発達特性
ウィトゲンシュタインは、「言葉ってそもそも何?」という根本から考え直し、哲学の考え方を2度もひっくり返した、今なお注目される20世紀の哲学者です。初回は、ウィトゲンシュタインの歴史的エピソードから見える発達特性をテーマとしたフリートークをお届けします。
生い立ちと家庭環境
(立場)まずはウィトゲンシュタインの生い立ちをご紹介します。ウィトゲンシュタインは、ウィーンの鉄鋼業で大きな財を成した父カール・ウィトゲンシュタインのもとに生まれました。父カールは、指折りの大富豪で非常に強権的な状態だったと言われています。また、芸術に関心がある方で自宅に画家や音楽家を招くような家庭だったそうです。
ほかには家庭内でメンタル的に不調を抱える人が多かったというふうに言われています。その理由として、父親カールのパーソナリティなど特殊な環境が一つあったんじゃないかなというふうに思っています。
(義村)今お父さんのWikipediaを見てみたんですけど、幼少期は落ち着きない方だったんですね。もしかすると、発達特性があったかもしれないと感じます。割とエネルギッシュに活動されて、感情の起伏もおそらく激しい方だったのかなと思います。ビジネスで成功される方のなかで、思いついたことを次に次に勢いよく進めていく力があるという方は、ADHD特性が強いという話があったりします。
(木村)確かに、スタートアップ創業者やオーナー経営者の中には、ADHD特性を持っていると思われる方が多いといわれています。周囲の人を巻き込むほどの勢いやエネルギーを持っている方が目立ちます。
(立場)もしかすると、父カールとルートヴィヒの双方に共通する発達特性が、それぞれにおいて実業家、哲学者としての成功をもたらしたのかもしれませんね。
ウィトゲンシュタインの関心の変遷
(立場)その後ウィトゲンシュタインは工学に関心を持ち、現代の日本でいう工業高校のような学校に進学しました。そのとき航空工学を学ぶのですが、徹底して工学に取り組むなかで数学を学び、さらに論理学、哲学へと関心を深めていきました。
(義村)知識の広がり方にASDとの共通点を感じます。診断基準では「限局した興味」と言われますが、その興味を掘り下げると、必然的に周りも掘り下げていく。非常に典型的だなっていうふうに感じました。
(木村)「勉強しているうちに、他のことも気になってくる」というのはよくある話ですが、それとは違うのですか?
(義村)そことそこをつなげるのか、みたいなちょっとした驚きがあります。一見つながりはないが、よくよく話を聞くと、本人なりにロジックがつながっている。定型発達の好奇心の場合は、もう少しライトな感じがします。
教育者としての姿に見る発達特性
(立場)ウィトゲンシュタインの人生の話に戻ります。ウィトゲンシュタインはその後、第一次世界大戦に従軍し、軍人として働きながら哲学的思索を深めました。この時期に、後の主著『論理哲学論考』の内容を構想していたとされています。戦後は小学校の教師になります。授業では、生徒のために本物の猫の骨を使って骨格標本を作るなど、非常に実践的で探究的な授業をしていました。しかし、体罰が原因で学校を辞めることになります。ちなみにこの時期、彼は小学生向けの辞書も出版しています。これは一般的な辞書とは異なり、実際のライティングで使用頻度の高い単語から掲載したものでした。
(義村)体罰は問題ですが、それを除けば、教育者としては非常に優れた取り組みをしていますね。
(立場)パッションのある人物だったことは間違いないですね。
(義村)興味のあるなしで突っ走り方は違うとは思うんですけど、やっぱりこれと思ったらかなりしっかり着実に行動を残してますよね。
(立場)行動の人です。しかもやるっていうのが半端じゃない。
(木村)一つ気になったのですが、彼が作った辞書は使いやすさを重視していましたよね。これは、一般に言われるASDにおける「共感性の乏しさ」とは相反するように見えます。この点はどう捉えたらよいでしょうか?
(立場)そうですね。ウィトゲンシュタイン自身が一般的な小学校教育を受けていなかったことが関係しているかもしれません。
(義村)従来の教育観に染まっていなかったことが、逆に良かったのかもしれません。感情的なやり取りが必要な場面では困難さがあったかもしれませんが、知識の体系化や伝達のように感情が介在しない場面では、むしろ力を発揮した可能性がありますね。
(木村)興味や能力とのマッチングが、小学生向け辞書という形でうまく機能したのだということですね。あるいは、単に文章に対してのパターン認識能力が非常に高かったのかもしれません。いまの生成AIを体現している人のようで興味深いです。
(立場)それはありそうですね。子どもたちの作業を観察して、頻出する単語を把握し、順序立てて並べた可能性も考えられます。
(義村)やはり、関心と環境との「マッチング」は非常に重要だと、改めて感じました。
(第2回へ続く)