【研究者たちのフリートーク】哲学者ウィトゲンシュタインの天才性と発達特性(第2回)

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第2回:ウィトゲンシュタインの研究と発達特性のある人の世界の見え方

 2025年6月25日の投稿に引き続き、「研究者たちのフリートーク:哲学者ウィトゲンシュタインの天才と発達特性」をお届けします。少しマニアックで肩ひじ張らない研究者たちのトークをお楽しみください。
 第2回では、ウィトゲンシュタインの研究と発達特性のある人の世界の見え方の関係性にスポットライトがあたります(第1回はこちら)。

前期ウィトゲンシュタインの思想

(立場)ウィトゲンシュタインの哲学は、大きく前期と後期に分けられ、それぞれで異なる立場を展開しました。前期の中心的な問いは「言葉はなぜ意味を持つのか?」というものです。彼は工学から始まり、数学・論理学を経て哲学へと関心を深めていきます。その中で、たとえば「木」や「机」といった言葉が、なぜそれを指し示すのかという問いに強くこだわるようになりました。たとえば、日本語の「木」という漢字は実際の木と似ていますけど、英語の「tree」にはそうした対応はありません。それでも私たちは「tree=木」と理解します。彼は、言葉が意味を持つのは、それが“外界の対象”と一対一に対応しているからだと考えました。「木」や「机」に対して、「数」や「1」、あるいは「善悪」「存在」といった抽象概念は、そのような対応が曖昧です。彼は、それらは対応する対象を持たない概念であり、そうした概念を扱うような哲学における伝統的な問い自体を無意味だとしました。こうして、前期ウィトゲンシュタインは、ある種ラディカルに哲学の枠組みを整理しようとしたのです。
 その後、彼は教師や建築の仕事を経験したのち、人生後半に再び哲学に戻り、後期の思想を展開します。ここでのテーマも「言葉の意味とは何か」ですが、注目点は大きく異なります。今度は、“言葉がどのように使われているか”に焦点を当てます。ここで重要になるのが「言語ゲーム」という概念です。言語ゲームとは、言葉の意味は文脈や社会的実践の中で決まる、という考え方です。前期のように言葉と対象の静的な対応を重視するのではなく、人間の行動や感情、文化的文脈の中で、言葉の意味が変化・形成されることに注目するのです。

(義村)この前期の考えを聞いて思い出したのが「共同注意」の概念です。言葉の意味を学ぶ過程では、親が犬を指差して「ワンワンだね」と言い、子どもがその指先を追って犬を認識するというような経験が繰り返されます。これによって言葉と対象の対応が形成され、言語獲得につながっていくと考えられています。定型発達の子どもは生後10か月頃から共同注意を示しますが、ASDのある子どもは1歳半を過ぎても出現しにくく、それが言語発達に影響していることがあります。ウィトゲンシュタインもまた、こうした定型発達的な言語獲得プロセス”を通ってこなかった可能性があります。だからこそ、彼は言葉の意味そのものに強い関心を抱いたのではないでしょうか。

(立場)おっしゃる通りで、ウィトゲンシュタインは非言語的な情報に対する注意が向きにくい特性を持っていたのかもしれません。

(義村)たとえば「リンゴ」という言葉には「赤い」「甘い」など様々な要素が含まれますが、彼はそれらがつながりをもって「リンゴ」を成しているとは捉えず、それらのうちのどれが本質なのかを一対一で対応づけるような形で捉えようとしたのではないかと感じます。

(立場) 興味深い視点です。前期の彼は、こうした意味の広がりには関心を示さず、「言葉が意味を持つには、何が成り立っていなければならないか」という構造的問いに集中していました。どのように対象を切り取るかーたとえば木を「葉」「幹」「根」に分けるかどうかーは文化や目的によりますが、彼にとってはそうした切り方は問題ではなかった。言葉が“外界の何か”と対応していればよい、という立場だったのです。

後期の思想への転換を発達特性から考える

(立場)しかし後期になると考え方が変わります。「リンゴって甘いよね」や「これは高価なリンゴだね」といった日常的なやりとりの中で、言葉の意味が形成されていく。つまり、言葉の意味は“使われ方”によって決まるという立場へと移行しました。犬を指して「ワンワンだね」「怖いね」といった実践の中で、言葉の意味が培われる。これが後期ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」なのです。

(義村)言語ゲームって、そういうことだったんですね。みんなで使いながら意味を作っていく、実践の営みなんですね。

(立場)その通りです。言葉の意味は、共に使いながら生まれる。その文脈や行為こそが重要なんです。

(義村)ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、定型発達の人が自然と身につけている“言語の獲得過程”を、後期ウィトゲンシュタインは改めて発見したように見えますね。そんな印象を受けましたが、合ってますか?

(立場)その通りだと思います。言語とはコミュニケーションの手段であり、目的を達成するためのツールだという考え方は、むしろ後期になってから出てきたものです。まさにその「後天的な獲得」が重要だったのだと思います。哲学者たちが驚きを持って受け止めたのも、彼が「ごく自然なもの」とされていた言語使用の構造を、まったく別の観点から捉え直したからです。    

(木村)全く新しい観点からとらえ直すというのはまさにイノベーションですね。

(第3回へ続く)


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