【研究者たちのフリートーク】哲学者ウィトゲンシュタインの天才性と発達特性(最終回)

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最終回:もし現代にウィトゲンシュタインが生まれ変わったら

 2025年7月8日の投稿に引き続き、「研究者たちのフリートーク:哲学者ウィトゲンシュタインの天才性と発達特性」をお届けします。少しマニアックで肩ひじ張らない研究者たちのトークをお楽しみください(前回の記事はこちら)。
 最終回は、「現代にウィトゲンシュタインが生まれ変わったら」というもしも話が繰り広げられます。

AIの基盤理論や概念設計への関与の可能性

(木村)立場さんにお伺いしたいのですが、もしウィトゲンシュタインが現代に生まれていたとしたら、コンピューターというものに興味を持ったと思いますか?

(立場)間違いなく、非常に強い興味を持ったと思います。

(木村)やはりそうですよね。私もそう感じていて、彼にとって、コンピューターは「最高のおもちゃ」になっていたのではないかと思います。特に現在の生成AIが意味を「生成」してはおらず、意味がありそうな文章を確率的に推論して作っているだけだという点に注目しています。私の理解では、今のAIは人間社会で使われている言葉の意味を模倣し、「意味がありそうに見える」文章をつなげているにすぎないと思います。これはウィトゲンシュタインが前期・後期を通じて取り組んだテーマの一つを、トレースしているように見えるんです。ですから、彼が現代にいたら、生成AIの基礎理論に深く関わっていたのではないかと。加えて、イノベーターとしての彼の性質から考えると、コンピューターというツールを手に入れた時点で、現在の生成AIを大きく超える何かを生み出していた可能性もある。そう考えると、妄想がどんどん膨らみますね。

(立場)まったく同感です。今のAIが「心を持っているか」とか、「確率的にそれっぽいものを生成しているだけなのか」といった議論はあります。しかし、後期ウィトゲンシュタインの視点からすれば、「言語そのものも本質的にそういうものではないか」と捉える余地があるわけです。その意味で、彼とAIのあいだには極めて高い親和性があると思います。おっしゃる通り、彼が今の時代に転生して現れたとしたら、想像もつかないような方向性で、私たちを驚かせてくれたのではないでしょうか。

イノベーターが活躍できる社会環境の必要性

(立場)ただ一方で、「AIを使って何か役に立つものを作って」というような、社会的な期待に応えるタイプではなかったかもしれません。ある種、不適合さも含んでいた可能性はあると思います。こういったイノベーティブな人が活躍できるかどうかって、結局、社会や環境がそれを受け入れられるかどうかにかかっている気がします。木村さんはどうお考えですか?

(木村)本質的には、社会はイノベーターを必要としていると思います。ただし、それを受け止められる土壌が圧倒的に不足していると感じます。つまり、彼のような人が活動するためには、さまざまなリソースにアクセスできて、自由に動ける環境が必要です。それを整えるマネージャーや組織が機能していればいいのですが、現実にはそうならないことが多い。結果として、ウィトゲンシュタインやアインシュタインのような人たちは、ごく限られた条件が揃ったときにだけ、ようやく活躍できる。逆に、それがなければ本人にとっては非常に苦しい人生になってしまうこともあるのだと思います。そう考えると、現代社会――特に組織は、マルチタスクを前提とする構造になっていて、注意が散漫になりやすい。そうした環境では、ASDのような深い集中や一つの問題に取り組み続けることが得意なタイプにとっては非常に生きづらい。

(義村)そういう構造は打破したいですよね。

(木村)本当にもったいないと思います。こういう話を聞いて、こんな面白い人がもっと世の中に出てきたら、どれだけ楽しいかと感じます。モノによるイノベーションではなく、概念によるイノベーションを起こせる人――それって宗教改革にも似たような、思想のレベルでの変革ですよね。ウィトゲンシュタインがやったのは、まさにそういうことだったんだと、今日の対話を通じて実感しました。

(義村)本当に、対話の中でこんなに楽しいお話がたくさんできたこと、とても嬉しく思います。ありがとうございました。

以上



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