幸せな「人生のしまい方」って?
③身じまいについての二つのタイプ:「タツトリさん」と「ノトナレさん」

 「誰もが生前・死後の尊厳を保つための持続可能な身じまい・意思決定とその支援」のプロジェクトでは、『幸せな「人生のしまい方」って?』をキャッチコピーとして、身じまいの問題を考えています。今回の記事では、調査を進める中で見えてきた身じまいの二つのタイプを紹介します。

はじめに

 皆さんは、自分の人生のしまい方についてどのような考えをお持ちでしょうか。私たちは、これまで、テレビや新聞から身じまいについての考え方を収集したり、市民対話会で様々な方のお話を伺ったりしてきました。そこで集めた情報を整理してみると、どうやら高齢期の備えについては大きく二つのタイプがあるようです。一つは「立つ鳥跡を濁さず」という言葉がぴったりのタイプ、もう一つは「あとは野となれ山となれ」という言葉がぴったりのタイプです。本プロジェクトでは、この二つのタイプを、それぞれ「タツトリさん」、「ノトナレさん」と呼んでみることにします。

「タツトリさん」・「ノトナレさん」とは?

 タツトリさんは、「必要な備えをしておいて、あとは心置きなく人生を楽しみたい」とか、「残される家族に負担をかけたくない」といった思いから、身じまいを積極的に行っているタイプです。例えば、重要書類を整理して家族に保管場所を伝えたり、いざという時に備えてエンディングノートを書いたり、あるいは死んだ後のことまで考えて生前に葬儀会社に相談して葬送の手筈を整えていたりします。家族のための備え以外にも、趣味で集めたものを大事にしてくれそうな人に譲るなど、自分が大切にしているものを守りたいという思いで身じまいの備えをしている方もいます。

 一方ノトナレさんは、「何かあっても、その時はその時、先のことは心配し過ぎずに今を楽しみたい」とか、「これまで好きに生きてきたし、いざというときはみんなのいいようにしてくれたらよい」と考えていたり、あるいは「備えが大切なのは分かるけど、何から手をつけていいやら… また今度にしよう 」と思っていたりして、身じまいを行わずにいるタイプです。あるロックミュージシャンは、遺言について尋ねられた際に「書かないんじゃないかな。どうでもいいもん、死んだあとのことなんて。」と語っていましたが、これもノトナレさん的な考え方の一つでしょう。こうしたタイプの方は、身じまいについてはどちらかといえば消極的であったり、実際に取り組む上でハードルを感じていたりします。(*1)

 ここで、ノトナレさんについて、大事な点を補足しておきます。「あとは野となれ山となれ」というと、「全く無責任な人だな」とマイナスなイメージを持たれるかもしれません。ですが、必ずしも そうとは限りません。「あとは野となれ山となれ」と考える人の中には、家族の負担になりたくないからこそ、自分の老後や死後について、野となることも山となることも受け入れたい、と考えている人もいるでしょう。大事なことであればあるほど、自分の希望を言葉にして誰かに伝えることは、相手を縛る効果を持つものかもしれません。それを避けたいという思いが、「あとは野となれ山となれ」という考え方につながっていることも考えられます。また、時間やお金がないなどの理由から、ノトナレさんになっている人もいるかもしれません。こういう人は、周りから支援を受けられたら、タツトリさんになりたいと思っている可能性があります。

(*1)「あとは野となれ山となれ」は、辞書的には「目先の問題さえ済めばあとはどうなっても構わない」という意味とされていますが、現在では、「自分のできるところまでやったから、結果については思い悩まない」という意味で用いられることもあるようです。ただし、本プロジェクトでは、「できるところまでやった」といった意味合いは含まずに、辞書的な意味で、「あとは野となれ山となれ」という言葉を用います。

 今後の研究では、タツトリさんやノトナレさんの中に、どのような価値観を持っている人がいるのか、あるいは、身じまいの備えについてどのような支援を必要としているのかについて、さらに調査を進めていきます。

 次回は、2024年度に実施したアンケート調査を手がかりに、タツトリさんとノトナレさんの特徴や、高齢期の身じまいについての希望や心配事をご紹介します。

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