認知症が進む前にご本人の思いや希望を丁寧に聴き、最期までその方の価値観を大切にしながら看護をしたい。高齢者施設で看護師として働きながら、京都大学大学院医学研究科の博士課程に在籍している小川真依さんは「軽度認知症高齢者に対するアドバンス・ケア・プランニング(ACP)プログラムの開発」に取り組んでいます。研究のきっかけとなった大学病院での勤務経験から見えた課題や、今回立ち上げた研究プロジェクトについて話を聞きました。

患者さんの思いを意思決定に活かしたい
私は大学卒業後に大学院の修士課程に進み、老年看護の研究を行ったのち、大学病院に就職しました。現在は高齢者施設で看護師をしながら博士課程に在籍しています。
大学病院では老年内科に4年間勤務しました。多くの認知症患者さんに出会いましたが、入院される方の多くは症状が進んでいて、「ご本人の思いを聞きたいのに方法がない」というジレンマを何度も感じました。その場合、家族や医療者がご本人の思いを推測して治療方針などの意思決定を行うことになります。
治療の選択によっては胃ろうや人工呼吸器の装着に至ることもあり、患者さんに痛みや苦しさを与えてしまう可能性があります。ご本人が「終末期には積極的な治療を望まない」のか「可能な限り命をつないでほしい」のかが分からなければ、難しい選択をする周囲の負担も大きく、なによりご本人にとって最善だったのか確信が持てません。だからこそ症状が進む前の段階で、ご本人の言葉や思いを聞き取り、意思決定につなげることが大切であると感じていました。
そこで注目したのがACPです。ACPというのは、必要に応じて信頼関係のある医療・ケアチーム等の支援を受けながら、本人が現在の健康状態や今後の生き方、さらには今後受けたい医療・ケアについて考え、将来の心づもりをして家族等と話し合うことです。最近は厚生労働省が「人生会議」という取組みで推進(*1)していますが、日本ではまだ広まっておらず、病院や施設によって進め方や支援内容にばらつきがあります。特に認知症に焦点を当てると、一層の難しさがあります。
難しさの理由として、認知症の方には一般的な言葉でも伝わりにくいことがある中、医療的な話もしなければいけないことが挙げられます。本人の状態を見ながら繰り返し介入する必要があるため、時間的な制約も大きいです。
また、本人の主体的な意思決定を重視しACPが比較的浸透している米国などでは「自分のことは自分で決める」という価値観が主流ですが、家族や周囲との調和を重んじる日本を含む東アジアでは「自分よりも家族の意向を優先したい」という方も多いのが特徴です。認知症の特性を踏まえ、ご本人が主体でいられるよう最大限支援しつつ、価値観や希望を本人の言葉で確認し、家族も適切に巻き込んでいく意思決定の仕組みが求められます。
初期段階で介入する必要がある
認知症の方は、初期段階では意思がはっきりしている時もあれば思いが揺らぐ時もあります。洋服を着るというような些細なことができなくなったり、自分のことが分からなくなったりしていくと自信を失い、自尊心の低下や苦痛を抱える方も少なくありません。
進行は10年、20年という長い時間軸にわたることもあり、本人も家族も「もう少し先でいいかな」と話し合いを先延ばしにしがちです。気づいた時には認知機能が低下し、ご本人の思いや考えが分からなくなくなっていたということも珍しくありません。だからこそ、初期段階で介入する必要があります。
現在私が勤務している高齢者施設では、「人生で何を大切にしてきたか」などを話し合い、自分の人生を振り返る場を定期的に設けています。ただ、本人の状態は時間とともに変化し、施設から病院に移ることもあります。だからこそ、状態や場所が変わっても本人の価値観や希望を共有し引き継げる仕組みを作りたい。認知症に特化したACPプログラムを開発することで「認知症でも思いを伝える機会があり、先につなげていける」ということを示したいのです。

現場を知る研究者としてできることを
米国では法制度の整備が進み、ACPの実施が法的効力を持つ事前指示書(将来、自分が意思を失った場合にどのような医療を受けたいかを事前に記しておく書類)の作成に直結するケースもあります。一方、日本では同様の法的拘束力がないため「ACPを行って何が変わるのか」の意義が見えづらく、普及が進みにくい面があります。
認知症を持つ人々へのACP実施については海外でもまだ研究が多くありませんが、支援を行うことで「意思決定に対する意欲」「ACP参加への満足感」「将来のケアに対する不安の軽減」といった好意的な反応が報告されています(*2)。
日本では、認知症に特化したACP支援策が乏しいため、海外の知見を踏まえつつ、日本の文化的背景や社会制度に合わせたプログラムを開発し、まずは受け入れられるか(受容性)、現場で実施可能か(実施可能性)、プログラムの要点が実施できているか(忠実度)を確認するために予備的な調査(パイロット試験)を実施予定です。
看護師として大学病院で働いていた時は「ご本人の思いを聞きたいが、どうすればよいか分からない」というもどかしさを感じました。時間に追われる現場で誰でも使える「型」があれば、家族の不安や医療者の迷いを減らし、何よりご本人の尊厳を守れるはずです。
研究者という立場だからこそ、臨床現場を客観的に見つめながら、時間をかけて有効なツールや介入方法を検討し、実装につなぐ役割を果たしたいと考えています。最終的には、テンプレートやチェックリストを公開可能な形に整えて、施設・在宅・外来診療などあらゆるケアの場面で活かしていただける仕組みにしていきたいと考えています。
(*2)以下の文献を参照
1.Tetrault, A., Nyback, M.-H., Vaartio-Rajalin, H., & Fagerström, L. (2022). Advance care planning in dementia care: Wants, beliefs, and insight. Nursing Ethics, 29(3), 696–708.
2.Ingravallo, F., Mignani, V., Mariani, E., Ottoboni, G., Melon, M. C., & Chattat, R. (2018). Discussing advance care planning: insights from older people living in nursing homes and from family members. International Psychogeriatrics, 30(4), 569–579.
3.Sævareid, T. J. L., Førde, R., Thoresen, L., Lillemoen, L., & Pedersen, R. (2018). Significance of advance care planning in nursing homes: views from patients with cognitive impairment, their next of kin, health personnel, and managers. Clinical Interventions in Aging, 13, 1649–1661.