幸せな「人生のしまい方」って?④研究者とコピーライターの「タツトリ」「ノトナレ」談話

 「誰もが生前・死後の尊厳を保つための持続可能な身じまい・意思決定とその支援」のプロジェクトでは、「幸せな「人生のしまい方」って?」をキャッチコピーとしています。こちらの記事では、キャッチコピーをつくってくださったコピーライターの原田朋さんをお招きし、プロジェクト代表者2名とともにキャッチコピーができた経緯や思いを語っていただきました。今回の記事では、原田さんとの対話の中から生まれた「タツトリ」「ノトナレ」という言葉をめぐる談話をお届けします。

―キャッチコピーをつくる中で原田さんにはもうひとつ、議論のフックになる言葉を生み出していただきました。それが、「タツトリ」と「ノトナレ」です。この言葉が生まれた背景もお伺いしていきたいと思います。

(沢村)最初は児玉先生が、「立つ鳥跡を濁さず」ということわざがプロジェクトと関連するのではないか、と投げかけてくださったんですよね。

(児玉)そうですね。原田さんにご協力をお願いしてから、自分でも何か考えなければいけないなと思っていたところ、「立つ鳥跡を濁さず」ということわざを思い出しまして。最初はこのプロジェクトに「立つ鳥プロジェクト」といった愛称をつけたらいいかな、などと思っていたんです。いろいろと調べていたら、対義語で「後足で砂をかける」、「後は野となれ山となれ」といった言葉も出てきました。メンバーの皆さんにもお伝えし議論する中で、沢村さんから、特に「後は野となれ山となれ」という言葉は高齢者の方々からよく聞く、面白いのではないかとコメントをいただきました。
 こうしたやり取りについて原田さんにメールで共有したところ、「タツトリかノトナレか、みたいなのがいいんじゃないですか」というご提案をいただきました。私もとてもよいと思って、その後原田さんとやり取りをする中で「あなたはタツトリ派か、ノトナレ派か」といった形にすると議論が生まれるのではないか、という話が進んでいきました。

―「立つ鳥跡を濁さず」を縮めてタツトリ、「後は野となれ山となれ」を縮めてノトナレですね。

(児玉)はい。SMBC京大スタジオのプロジェクトページには、生前・死後の意思決定に関する議論がまだまだ十分ではないこと、議論をするためには価値観の言語化が必要だということを書いています。まさにこの価値観の言語化の例が、タツトリとノトナレではないかと思います。こうして言葉にすることで、自分自身がどういった身じまいのあり方を望んでいるのかを考えていく出発点になるのではないでしょうか。

(沢村)ことわざがあるくらいなので、物事の終わらせ方として、「立つ鳥跡を濁さず」も「後は野となれ山となれ」も、昔からよくあることなんだと思います。生活の中でこうした言葉を使いたくなることがしばしばあるんだろうと思うと、身じまいについても、タツトリ・ノトナレのどちらもあり得ますよね。

(原田)先日インタビュー記事を読んでいて、「この方はノトナレ傾向だな」と思うことがありました。趣味で集めたものがたくさんあるが、自分が死んだら家族にはもう好きにしてもらいたい、という発言があったんです。その方は「ここに寄付してほしい」などと処分の仕方を決めて家族に頼むのも自分のエゴな気がしてしまったそうで。インタビュアーの方がこうしたお話を聞かれるということ自体が、人生のしまい方に社会の関心が集まっていることの表れのようにも思いました。

(児玉)ノトナレにもいろいろなパターンがあると思うんです。今のお話のように信頼できる家族がいるから任せようっていう人もいれば、本当は人生の終わりに向けて準備したいけれど時間もお金もないからできないっていう人もいると思います。タツトリにならなければーーつまりきちんと準備しておかなければならない、と思われる方が多いかもしれませんが、ノトナレの望ましいあり方もあると思います。タツトリになりたい人はなれるようにお手伝いしたらいいでしょうし、ノトナレで問題ない人はノトナレでもいいのではないでしょうか。

(沢村)自分が全てやらなくても周りがみんなで支えてくれて野となったり山になったりできた方がよい、そんな社会の方が豊かだ、という考え方をお持ちの方もいらっしゃいますね。私の周りだと、福祉分野でそういった考えをお持ちの方が多いです。たとえ周りに頼れる家族のいない方であったとしても、周りがなんとかしてあげられる社会でありたいという、それはそれで一つの正解だなと思います。ただし今の社会では、ノトナレになりたいと思っている方々が、実際には野にも山にもなれないという課題があるんですよね。

―タツトリ、ノトナレという言葉が会話の中で自然に出るようになってきましたね。

(原田)児玉先生からメールをいただいて、「タツトリ」「ノトナレ」ってカタカナ4文字にしたら、なんだかキャラクター性が出てきたんですよね。そこがよかったなと思っています。

(児玉)プロジェクトメンバー内ではすでにこうした議論を「タツノト」と縮めて呼んでいます。議論のきっかけとして、こうした言葉を広げていきたいですね。

この後の3人の会話をYouTubeで配信しています。ご関心のある方はこちらもご覧ください。

二元論からはじまるコミュニケーション
現代社会の幸せって?
人生の終わりにどう向き合うか
決められなくなったとき、本人は、周りの人は

その他の関連記事