このコラムでは、「貧困・格差・虐待の連鎖を乗り越える教育アプローチの研究開発と普及」プロジェクト代表である日本総研/山本研究員が、教員の伴走支援をテーマにした研究の内容をお伝えします。
第3回となる今回は、本プロジェクトで山本研究員とともに「『生きる』教育」実践希望校への伴走支援を行う前田健志氏へのインタビューをお届けします。学校教員の伴走支援を生業とする合同会社楽しい学校コンサルタントsecondの代表を務める前田氏に、伴走支援のポイントや具体例をお聞きしました。
(過去のコラム)
第1回:教員のクラフツマンシップとそれを引き出す伴走の研究(1)はじめに
第2回:教員のクラフツマンシップとそれを引き出す伴走の研究(2)教員への伴走支援とは
現場の教員の姿が伴走支援を事業としてはじめるきっかけに
13年間中学校・高校の教員を務めました。子どもたちと楽しく学び合っていましたが、自分の息子が「学校に行きたくない・楽しくない」と言い出したことで、学校という場を考え直すようになりました。また自分の周りを見て、「やりたいこと」があるのにやれなかったり、がんばっているのに報われずに、徐々に目の光が失われ、疲弊していく教員の姿に問題意識を持つようになりました。
学校現場で働いている頃から同僚を支えたり、他校の教員の「やりたい」を実現する支援をしたりしていましたが、自分自身が目の前の仕事に追われる時期でもあったので、十分に支えられていたかどうかは疑問が残ります。教員に寄り添い伴走・支援する仕組み・専門職があればいいのではないか?と思うようになりました。そんな事例は無いのだろうかとリサーチをしていたところ、教員を支援する仕組みや専門職(チューターティーチャー制)が北欧にあることを知りました。調べていくと、「日本では教育委員会が似たような制度である」と紹介されていたのですが、教育委員会は「伴走・支援」というよりは多くの場合「管理・指導」になってしまっていて、教員への支援・伴走の仕組みは十分ではない。今の日本には「伴走・支援」ができる組織はないと考え、教員のやりたいことを引き出し、実現に向けて支援したり、教員の悩み・課題に寄り添い伴走する会社を立ち上げることに踏み出しました。伴走支援をはじめて2025年までで7年、教員の「やりたい」に寄り添って伴走することが、それぞれの教員の目の前にいる子どもたちの「やりたい・学びたい」気持ちに火がついたりするなど、教育的効果が波及する可能性も感じています。
伴走者の役割は教員の力を引き出すこと
伴走者はアドバイザーと違います。アドバイザーは、学校に出向いて、助言をする。分かりやすいのは大学の研究者が学校へ訪れ、専門的な知見を授ける。学校教員はこれが伴走だとイメージしていると思いますが、これはアドバイザーであり、伴走ではありません。アドバイスは、教員自身で問題に向き合って解決していく力を奪ってしまう危険性があります。
伴走は具体的な方法や解決策を授けるのではなく、教員自身の気づきから課題をクリアにしていくことを目指しています。伴走者は、教員が行き詰まりを感じていたり、停滞していり、先が見通せなかったりしている時に、それまでになかった視点や問いを投げかけ、教員の思いや考えを丁寧に拾いながら、状況を整理したり・解像度を上げたり・本質的な課題を発見したり・アイデアが出てきやすいような場をつくるお手伝いをします。
具体的な提案を求められたら、「僕はこういうふうに思う」という話はします。しかし、その提案を丸吞みにして頼られたり、依存されたりすることは本末転倒だと思っています。教員の仲間の一員として、教員とともに問題への解決策や代替案を作り上げていく姿勢、そして教員の本来持っている力を引き出していくことを大事にしています。
学校の依頼から浮かび上がる現状
学校からの依頼は、総合的な探究の時間やキャリア教育、STEAM、DXハイスクールなど分野は多岐に渡ります。全てに共通していることは、何か新しいことに挑戦したい、学校の課題を解決したい、学校をよりよく変えていきたいという教員の思いがあることです。学校に変化を生みたいけれど、なかなか変わらないから助太刀してほしい、具体的には他の教員をどうやって巻き込んでいけばよいか分からない、新しい取り組みの必要性を他の教員にも理解してほしいけどなかなか分かってもらえない、そういった悩み・依頼を受けるパターンが多いです。本当は、じっくり色んな教員のお話を聞いたり、学校全体の教育活動を見たりして、どんな伴走がいいかを考えていくのが一番良いと思うのですが、まだまだ伴走支援に対して認知度や意味が学校教員に理解されていないので、最初から「定期的な伴走」という形の依頼は稀です。大体の場合、最初は学校としてお金をつけやすい「教員研修」を依頼されることになります。学校の文脈に合わせて仕事をはじめ、徐々に教員自身が「研修」以外のもっと効果的な形を模索していかれる場合が多いです。

伴走支援の風景 ーK高校の事例をもとにー
伴走支援の可能性を感じた事例として、K高校での取り組みを紹介します。K高校のあるA市は、子どもが1年間で100人以下しか誕生しない山間部の過疎地域です。過疎への危機感・地域を魅力的にしなければという市政の動きもあり、学校改革(総合的な探究の時間を中心とした学校づくり)がマスト、という外圧からスタートした事例です。
K高校の管理職に呼ばれ、魅力的な探究プログラムを作成するためのプロジェクトチームとのミーティングがスタートしました。最初は非常に暗い雰囲気で、リーダー格の教員は明らかにネガティブなオーラを発し、「うちの学校じゃ無理」と発言するなど見通しがまったく見えませんでした。外圧からスタートしたことや求められているものばかりに目が行ってしまっていたことが主な原因でした。そこで、求められていることはいったん脇において、「やってみたいけどやれていなかったことなんですか?」「自分が生徒だったら、どんな学び・プログラムが良いですか?」「子どもたちにどうなってほしいですか?」とフランクに問いを投げかけ、楽しく本音ベースの話ができる環境を整えました。それぞれの教員の率直な悩み・思いやアイデア、何より「やりたい」を場に引き出し、少しずつ整理を手伝っていくと、半年ぐらいで最もネガティブなオーラを出していた教員が、ノリノリになってきました。「これだったらうちの学校でもやれるかも」「やってみたい」という思いが分かりやすく表情に出てくるようになりました。
伴走は、「ゆっくり・じっくり」と「タイミング」が大事です。教員がその時々に、どれだけの仕事を抱えているかによって会議での態度は違いますし、例えば余裕ないときに聞かれると、やりたいことがあっても「無理」ってなりますよね。なので、無理なときは無理させない。こちらが何回も足を運ぶことで、教員が今どんな状態か、やりたいことを吐き出せそうか?という判断がしやすくなります。教員は真面目なので、求められているものに応えなきゃと思う人が多く、それで疲れて余裕がなくなってしまう人が多い。また、先述したような外圧が多いので、外部に対してネガティブな感情を抱いたり、抵抗のために武装したりしがちなんです。なので武装を解除してもらって、楽しみながら余裕をもって、自分だったらどういう学びをしたいか・自分はどんな教育をしたかったのかを思い出してもらうこと、かっこよくいうとリフレクション(省察)をし、今後の展望を拓いていくこと。そこに教育の本質があるし、伴走者としての大きな仕事だなと思っています。
伴走者が育ち、学校の「余白」が確保できる社会へ
教員も核家族で共働きが当たり前になっています。家庭にもちゃんと時間を割かなければいけない中、時間がないからこそ、仕事の中に余白や遊びをちゃんと入れていくことはすごく大事です。その余白を「削ってはいけない余白」として死守している学校は、変化している学校なのではないかと思います。
おかげさまで、伴走の必要性を多くの学校や教員から感じてもらっていますが、学校における伴走を言語化したり、体系化することがすごく難しいです。「伴走支援」を掲げる方も多くなってきていますが、アドバイスばかりする人、専門家として教えたがる人もいます。伴走者は組織の文化を耕していく仲間の一人で、決して主役や来賓ではありません。華やかなものではなく、むしろ一番泥臭い存在です。
最近は、大学生などの若い人から伴走に関心があると問い合わせもしばしばあります。だからこそ、新たに伴走者を育てる機能も社会的に必要だと感じています。現状では、独立して維持していくことそのものが非常に難しい領域ですが、手始めに、伴走の実践者を集めたネットワークを立ち上げていけたらと思っています。